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シドニーの名はイギリスの政治家、シドニー卿(シドニー子爵)トマス・タウンゼントにちなむ。
シドニー湾沿岸には少なくとも4万年前からアボリジニが定住していた。ヨーロッパ人の関心がこの地域に向かうのは、1770年のジェームズ・クックによるボタニー湾の航海の後である。イギリス人による最初の入植は1788年で、最初はニュー・アルビオンと命名されたが、まもなく理由は不明ながらシドニーと呼ばれるようになった。このことは植民地開設の特許状がシドニー卿の斡旋で交付されたことに由来すると思われる。流刑植民地として急速に発展し、1822年にはすでに銀行、市場、発達した道路網、警察隊を備えた町となった。1847年には囚人が人口にしめる割合はわずか 3.2%にまで下がった。
当時シドニーにはヨーロッパより週ごとに船が来航し、イギリスや他のヨーロッパからの移民が到着した。1851年最初のゴールドラッシュが起こると、シドニーの人口は急激に増加し、急速に工業化が進んでシドニーは大都市となった。この頃からシドニーとメルボルンとの間で伝統的な敵対関係が存在し、メルボルンはオーストラリアの最大都市かつ最も裕福な都市となっていた。20世紀初頭になるとシドニーはメルボルンを人口で追い越し、それ以来現在に至るまでシドニーは国内最大の都市に君臨し続けている。1970〜80年代、オーストラリア準備銀行やオーストラリア証券取引所と共に、シドニーのCBDは明らかに国内最大の金融都市となってメルボルンを追い抜いた。20世紀全体を通して見ると、第二次世界大戦後の10年間を特に顕著とし、ヨーロッパやその後のアジアからの移民が増えるにつれてシドニーの都市圏は拡大を続けた。移民によってもたらされた文化は、シドニーの特徴である多様で国際的な雰囲気を織り成す主な要因である。
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